開業10周年 足立区介護タクシー10年の軌跡 ~忘れられない出来事と感謝~
- cast74
- 1 日前
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10周年のご挨拶
2026年8月16日、おかげさまであいしーえふ介護サービスは開業10周年を迎えます。
今月のブログは2回に分けて、この10年間で経験した出来事や、介護タクシーという仕事への思いをインタビュー形式でお伝えしたいと考えており少しだけ、私どもの歩みにお付き合いいただければ幸いです。
まず最初にお伝えしたいのは、この10年間、仕事を続けてこられたのは決して私一人の力ではないということです。
ご利用くださる利用者様やご家族様をはじめ、病院のソーシャルワーカー様、施設の相談員様、コールセンターの皆様、仕事を代行してくださる仲間や情報を共有してくださるアイラスグループの皆様、そして安全な運行を支えてくださる整備工場の皆様。
介護タクシーは、一台の車が走るだけの仕事に見えるかもしれません。しかし、その裏側には多くの方々の支えがあり、そのお力添えがあって初めて成り立つ仕事だと、この10年間で強く実感しており、そんな私が開業当時、タクシーメーター検査の際に東京都の検査員の方から掛けられた言葉が、今でも忘れられません。
●足立区 介護タクシー 10年の出来事で最初の衝撃
「介護タクシーを始めても、1年以内に廃業してしまう方が多いが、大丈夫?」
当時は「そんなものなのか」と思って聞いていましたが、10年経った今、その言葉の重みを痛感しています。
実際、この仕事は開業したからといって安泰ではなく、日々の小さな積み重ねが信頼につながり、反対に小さな判断ミスや準備不足、何気ない一言が、大きな信用の損失につながることもあります。
私自身も搬送が終わるたびに、
「もっと分かりやすく説明できたのではないか。」
「事前の準備は十分だっただろうか。」
「あの対応で本当に良かったのだろうか。」
と、自問自答を繰り返しています。
10年経った今でも、その気持ちは変わりません。
そして、もしアイラスグループの仲間たちの助けや、周囲の皆様からの支えがなかったなら、この仕事を辞めていたかもしれません。
この仕事は、一人では続けられない、横繋がりの仕事です、だからこそ、人とのつながりを何より大切にし、感謝の気持ちを忘れずこれから先も歩んで行きたいと考えております。
● 辛い別れ
介護タクシーをご利用される方の多くは、病気や障がいを抱えながら生活されています。もちろん、骨折など一時的なケガでご利用いただく方もいらっしゃいますが、多くの方にとって病気は日々の暮らしと隣り合わせです。
最初は病院への通院や入退院の送迎から始まったご縁が、次第に「お墓参りに行きたい」「家族で食事に出かけたい」「旅行に行きたい」といった外出のお手伝いへと広がり、ご利用者様だけでなく、ご家族様とも自然と親しくなっていきます。
だからこそ、突然のお別れは何度経験しても慣れることはありません。
ある日、お迎えの時間になってもお姿が見えず、お電話をしてもつながりません。不安な気持ちで待っていると、ご家族様から「昨夜、容体が急変し、亡くなりました」とご連絡をいただいたことがありました。
また、つい先日まで笑顔で会話を交わしていた方が、何の前触れもなく旅立たれてしまったこともあります。
この10年間、そんな突然の別れを幾度となく経験してきました。
ご利用者様やご家族様との関係が深まれば深まるほど、その悲しみは大きくなります。
介護タクシーは「目的地までお送りする仕事」と思われがちですが、私にとっては人生の大切な時間をご一緒させていただく仕事でもあります。
だからこそ、お一人おひとりとの出会いを大切にし、これからも心を込めて搬送を続けていきたいと思っています。
● 東京の大雪、首都高速全面閉鎖の中で宇都宮へ搬送
10年間で最も記憶に残る搬送の一つが、東京に大雪が降り、首都高速道路が全面閉鎖となった日の移送です。
ご依頼は、新宿区の病院から栃木県宇都宮市までの長距離搬送でした。本来であれば、安全を最優先に考え、日程変更をご提案したい状況でしたが、区役所のケースワーカー様も同行される予定で、「この日しか調整できません」とのことで変更は無理に。
通常であれば、新宿から首都高速を利用して東北自動車道・浦和インターチェンジまでは約40分しかし、この日は首都高速が全面閉鎖。一般道を走るしかなく、都内は大雪による大渋滞となっており、新宿から浦和インターチェンジまで、約2時間30分。
そこから東北自動車道で宇都宮まで約3時間。途中で利用者様の体調を考慮しながら休憩を挟み、搬送時間は合計5時間30分にも及びました。
介護タクシーは、天候が悪いからといって簡単に止められる仕事ではなく、利用者様が病院へ行かなければならない日、施設へ入所しなければならない日、その「今日」という日は一度しかありません。
また、別の日には受験会場への搬送も経験し、その日も積雪の影響で橋という橋が通行止めとなり、カーナビの案内も機能しないほど道路状況が変化している中で「何としても試験開始時間までに送り届けなければ。」
そんな緊張感の中で運転したことも、今では忘れられない思い出の一つです。

● 急変し、車内で心臓マッサージ
終末期の利用者様をご自宅までお送りするご依頼をいただいた時のことです。
ご自宅は病院から車で約20分の距離でしたので、「万が一容体が変化した場合でも、すぐ病院へ戻れる」と考え、搬送を開始し、出発から約15分が経過した頃、同乗されていた娘様が突然
「お母さん、しっかりして!」
と大きな声を上げました。
すぐに安全な場所へ車を停め、ご本人様の様子を確認すると、唇が紫色に変わり、意識も反応もありません。
一刻を争う状況と判断し、直ちに119番通報を行い、心肺蘇生(胸骨圧迫)を開始し、実はその少し前、東京消防庁の患者搬送乗務員講習で心肺蘇生法を学んだばかりでもあり、緊急時に119番通報する際に自分の居場所を伝える方法も覚えておりました。
「講習で学んだことを、まさか実際の現場で行う日が来るとは…。」
そんな思いが頭をよぎりましたが、迷っている時間はありません。
救急隊が到着するまで約7分間、胸骨圧迫を続け、到着した救急隊へ無事に引き継ぐことができました。

● 布団にくるまれたまま病院へ
ある日、区役所のケースワーカー様から一本のお電話をいただきました。
「精神疾患のある方を病院へ搬送したいのですが、ご協力いただけますか?
暴力的な方ではありません。ただ、病院へ行くことを強く拒否されており、説得に時間がかかると思います。」
当日、ご自宅へ到着すると、区役所のケースワーカー様とケアマネジャー様が待っており、「佐藤さん、これからご本人を説得しますので、しばらく車内でお待ちください。」
車内で待機し、搬送の準備を整えながら連絡を待っていると、約1時間30分後、ケースワーカー様が困った表情で戻って来られ「ご本人は布団から出てこられず、話にも応じていただけなくなってしまい、まるで貝のように布団へ閉じこもってしまいました。何か良い方法はありませんか?」
そこで私は一つの方法をご提案しました。
「今回は職員の皆さんの人数がそろっていますので、布団にくるまったまま、安全を確保しながらリフト付き車両へお乗せして搬送してみましょう。」
ご本人の負担をできる限り少なくすることを第一に考え、皆で慎重に布団ごと抱え、お部屋から車両まで移動し、無事リフトに乗せ病院へお送りすることができました。
10年間で数多くの搬送を経験してきましたが、布団にくるまったまま搬送したのは、この一度だけです。
介護タクシーの仕事には、決まったマニュアルだけでは対応できない場面が数多くあります。
利用者様やご家族様、医療・福祉関係者の皆様と知恵を出し合い、その時々で最善の方法を考えることも、この仕事の大切な役割だと感じています。

● 結婚式大幅遅刻で
10年間の中で、今でも思い出すたびに胸が痛む出来事があります。 ある日、都内の病院に入院されている、利用者のご家族様から
「娘の結婚式に参加したい」とご相談をいただき、結婚式会場は東京湾を望むシーサイドエリア。新婦のお父様である利用者様にとって、一生に一度の大切な日で 病院から一時外出という形でご参加されるため、私は送迎だけでなく、会場での食事介助もご依頼いただいていました。
当日は土曜日でしたので、「首都高速もそれほど混雑しないだろう」と考えていたのですが高速入口から本線へ合流した直後、予想外の大渋滞に巻き込まれ 車はほとんど動かず、到着時間の見通しも立ちません。
利用者様は新婦のお父様、式の前には着替えや記念撮影も予定されており 「絶対に遅れてはいけない。」 そう思えば思うほど焦りは募りますが、渋滞の列の中ではどうすることもできず、 先に到着されたご家族様からもご連絡をいただきましたが、正確な到着予定時刻をお伝えできない状況のまま 結果的に、会場への到着は予定より約50分遅れ。
食事介助のため披露宴にも同席させていただいており、 会場の見どころは、美しい海を望むサンセットの演出で、 披露宴の終盤、新郎新婦がテラスに隠れて待機し、司会者の合図とともに夕日を背に登場する予定だったのが、 進行が大幅に遅れたために、司会者の「どうぞ!」という声とともに新郎新婦が姿を現した時には、すでに太陽は沈み、辺りは真っ暗
その光景を見た瞬間、 「自分の遅刻が影響してしまった」 という思いが胸をよぎり後悔しきりで、この出来事を今でも忘れることができません。
介護タクシーは、単に目的地へお送りするだけの仕事ではありません。 その先には、ご本人様やご家族様にとって二度とない大切な時間が待っています。
この経験以来、長距離搬送や時間指定のある搬送では、以前にも増して慎重にルートを検討するようになり、 事前に高速道路の渋滞情報を確認し、必要に応じて一般道を利用するルートを準備する。途中で高速を降りる判断も想定する。渋滞区間を避けて再度高速に乗り直す経路も事前に考えておく。 そんな「もしも」の準備を徹底するようになったのは、この日の経験があったからにほかなりません。 10年経った今でも、私にとって大切な教訓として心に残っている出来事の一つとなっています。

● コロナ禍で大きく変わった介護タクシー業界
2020年、新型コロナウイルスの流行は、介護タクシー業界にも大きな影響を与えました。
当時は感染経路や治療法も十分に分かっておらず、「感染すると命に関わる」という不安が社会全体に広がっており、介護タクシー事業者の間でも
「新型コロナ患者様の搬送を行うか、それとも行わないか」
という判断が大きく分かれ、当社が所属するアイラスグループでは、感染拡大当初コロナ患者様の搬送を行わないという判断をしました。
理由は、感染防止を最優先に考えたためで一度コロナ患者様を搬送すると、車両の消毒や運用の関係から、その後すぐに一般の利用者様をお乗せすることが難しくなるのが大きな理由で、リピーター様の対応も出来なくなります。
アイラス、当社では長年ご利用いただいている利用者様へのサービスを継続することを優先し、このような方針を選択しました。
一方で、コロナ患者様の搬送には公費による補助制度が設けられたこともあり、多くの事業者が新たに参入しました。
その結果、一部では介護タクシーや民間救急の経験が少ない事業者による搬送や、感染対策・車両管理をめぐる問題、高額請求などがされることもあり、その影響は介護タクシー、民間救急業界に波紋を投げかけました。

● ターミナルケアと一匹の猫
ある日、病院の医療ソーシャルワーカー様から一本のお電話をいただきました。
「終末期の患者様をご自宅へ一時帰宅させたいのですが、お手伝いいただけますか。」
詳しくお話を伺うと、ご家族様には一つだけ叶えてあげたい願いがあり、娘様は、こう話してくださいました。
「父は自分が、もう長くないことを分かっています。最後に、自宅によく遊びに来ていた猫にもう一度だけ会いたいと言っており、でも、その猫が来てくれるかは分かりません。体力を考えると自宅にいられるのは30分ほどです。それでも、父の最後の願いを叶えてあげたいのです。」
その言葉を受け、私は急変時にも対応できるよう準備を整え、ご自宅へ向かいます。
ご本人様は土間の広いスペースでストレッチャーでお一人になり、力の入りにくい手で猫じゃらしをゆっくりと振りながら、猫の名前を何度も優しく呼び続けます。
私は、猫が安心して近づけるよう少し離れた場所から静かに見守り、15分ほどが過ぎても猫は現れず、「今日は会えないのかもしれない」と諦めかけた、その時でした。
奥の方から小さく「ゴソゴソ」と音が聞こえ、目を凝らすと、一匹の猫がゆっくりと姿を現したのです。
猫は迷うことなくご本人様のもとへ近づき、静かに寄り添いその瞬間、ご本人様の表情は穏やかな笑顔に変わり、離れて見守っっていた自分にも、こみ上げて来るものがあり、言葉では表せないほど温かく、忘れることのできない時間でした。
あれから年月が経った今でも、街で猫を見かけるたびに、あの日の光景が鮮明によみがえります。
介護タクシーという仕事を通じて、人の人生の大切な一場面に立ち会わせていただけたことを、私はこれからも忘れることはありません。

足立区介護タクシー10年間、一つとして同じ搬送はありませんでした。
笑顔で目的地に到着した日。ご家族様と一緒に涙を流した日。緊張で手が震えた日。「ありがとう」の一言に励まされた日。
そのすべてが、今の私を育ててくれました。
これからも初心と感謝の気持ちを忘れず、一人ひとりの利用者様に寄り添う介護タクシーであり続けたいと思います。
10年間、本当にありがとうございました。
以上が足立区介護タクシー10周年の記事となります
■ 記事監修者
あいしーえふ介護サービス代表佐藤昌明
介護老人保険施設、高齢者サポート住宅、等の勤務経験が有り国家資格 介護福祉士を保有
2016年8月開業以来、15000人以上の搬送者数で東京消防庁より表彰状授与、患者搬送乗務員、東京防災救急協会会員、NHK学園卒



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